9時25分、大多喜駅
駅前はあまり栄えていないが、立派なお城が目立っているのがいい。大手門を通り、線路を渡ると、ちょっとした坂道になっており、「メキシコ通り」と名前が付いている。遭難したフィリピン総督を、助けたお礼として、メキシコ大統領が訪問。これを記念した遊歩道とのこと。鳥やかえるのスタンプがタイルとして埋めこまれている。夷隅(いすみ)川に沿って出っ張っているので、眺めはいいが、ちょっと怖い。
県民の森の案内にしたがって、大多喜城で一休み。天文期(1532~1555)に、房洲里見氏の重臣正木氏が入り、4代に渡って発展したが、現在は残っていないとのこと。この建物は、本丸跡に建てられたお城型の博物館ということで、復元したのかな。鎧や、兜の展示品と、お城と城下町の模型がある。また、胴丸やはらまきが動きやすいことから、身分の高い者にまで広まったという、防具の下克上があったというお話が面白い。
大喜多領知絵図として、当時の地図が残っているのにも見入ってしまう。天井が低い階段を上り、一番上(天守閣)で、景色をながめておしまい。久々のお城はやっぱりいいな~。
続いてお隣、県民の森へ。草原の広がる芝生の広場をすぎると、古いトンネルがあり、ここから先は別世界。山の上に別荘が並ぶ避暑地のようなところで、キャンプ場もある。なんだか場違いなところに来てしまった感じ。
けやきの森を川に沿って奥まで進むと、ダム(?)のようなところの上流に、木の橋がずっと続いている。森のトンネルで、紅葉や新緑の季節は綺麗なんだろうな。でも、だんだん道は狭くなり、最後は「通行止」の立て札でおしまい。帰り道(カエルの絵)の案内板がたくさんあって、迷わないが、入口が一箇所しかなく、来た道を引きかえすのはむなしい。
城と渓谷ラインと書かれた、坂道をずーっと下って、夷隅川に合流。浅間神社と大國主神社があったので寄り道する。れんげの湯と、大多喜城GCを過ぎると、再び寂しい山道になり、今度は苦手なトンネル(西部田トンネル)もある。
トンネルの先は、行きも戻りもずっと山の中で、この先に西畑駅があると、地図を持って確信していなければ、とても歩こうと思えないところ。でも、分かれ道からは、車もあまり通らなくなり、歩きやすい。最後に、またトンネル(竹の沢トンネル)をくぐると少し景色が明るくなり、花が咲く別世界。ずっと先に新しい建物(小学校)が見えるようになる。昔の人は、当たり前のように、ずーっと歩いていたのだろうが、峠越えはやっぱり感動する。
一つ目の道を左側に曲がる。このあたりは、小苗という地名みたい。地図では、神社のマークがあるのだが、穴の空いた二本の木と、扉の閉まった名のない神社があるだけ。放置されているようで、気になるところ。
その先の細い道を進むと、階段があり、また名のない神社。大きな杉の木に囲まれたところで、ここも気になる。本線に合流し、しばらく歩くと、また神社を発見。今までで、一番大きなところで、広場にはすべり台や、ブランコのような遊具があるが、やっぱり案内板もなく名前もない。
神社の先にある細い道を進むと、農協前に合流。100メートル先、自然水利と書かれた案内板を見つけたので、行ってみる。
農道の先の川に石の橋が架かっているが、これが自然水利なのかな。沈下橋のような感じ。その先の道の状態は悪く、どこまで進んでも川沿いに木を切り倒した道が続くだけ。ずーっと歩くと、最後は、山のように木が倒されている不気味な広場でいきどまり。
あの橋の存在意義ってなんだろう。せめて、橋のところに「この先行き止まり」と書いていてくれれば…。また、歩いて引きかえすのはむなしい。
さらに方向を間違えて、原内付近まで逆走してしまう。なぜここまで、川の方向で気づかなったのか、自己嫌悪。西畑駅でゴールしたが、精神的に疲れてしまう(12時10分)。
列車は1時間に一本で、40分待ち。でも駅ノートがあり、たくさん書かれていたので楽しかった。帰りは、途中までツアー旅行客の団体で、満員電車のような混雑でびっくり。ただ、線路沿いにずーっと続く菜の花に歓声をあげていたので、一体感があってよかったかな。たしかに綺麗だったし。
[入館料] 大多喜城分館 ¥200-
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