8時10分、また、岡部駅で下車。今回は、籠原方面を目指す予定。
工場をすぎると、いきなり畑の続く、のどかな風景に。ねぎ畑ばかり。古い看板によると、岡部は、関東一のつけもの名産地らしい。
線路の近くに、愛宕(あたご)神社があったのでお参り。設立年代は不明だが、岡部六弥太忠澄の信仰厚く、火防の神として崇拝されているそうだ。でも、鳥居が低いので、屈まないと進めない。
奥には小さな山があり、こちらは愛宕古墳。古墳時代末期(7世紀末期)の築造と考えられる。方墳という特殊な形状で、関東地方において数少ないものとのこと。
体育館のような倉庫を北に進み、続いて岡部神社へ。聖天宮と称されており、勧喜天の木造が、安置されている。明治12年に、岡部神社と改称された。縁結び、家内安全、五穀豊穣の神社とのこと。繊細な彫刻が見所らしい。
ぐるっと一周したあと、引きかえすのもつまらないので、違う方向から、お寺の中に入る道で、外に出たら方向がわからなくなり、しばらく悩んでしまう。
国道17号線になんとか復帰。ほっと一息だが、車ばかりで、つまらない。途中、旧中山道があったので、こちらを進んだが、すぐにまた合流してしまう。
合流地点に、龍宮神社があったので、中に入る。今日は、宿根八坂祭りとのことで、小さなみこしがたくさん用意され、人がたくさん集まっており、賑やかだ。まだ9時なのに、朝早くから、すごい熱気。
その後はしばらく見所なし。自動車関係のお店と、ファミリーレストランが多いかな。
笛を吹く武者の像がある、大手口公園でようやく北に進み、深谷城址公園へ。
ちびっこ広場、休憩広場、読書広場、芝生広場など本格的な地図が書いてあるが、小さなところで、あっという間に出口についてしまう。となりに、富士浅間神社があったので、お参りしたあと、しばらく休憩。童謡「みかんの花咲く丘」誕生の地の看板がある(作詞:加藤省吾)。
唐沢川の反対側にも、神社があったので行ってみる。稲荷神社だが、注意書きが多い。単なる通路がわりに使う方が多いのかな。
高校の手前から北上。ちょっとした商店街になっており、古い家具屋や、いまどき珍しい対面式のパン屋など、見ていて懐かしくなる。
ハニワっぽい車止めの先は、遊歩道になっており、あかね橋を渡ると広い草原が続く。遊歩道の横に、切り取られた線路があり(日本煉瓦の専用線で、日本最古のポーナル型プレート・ガーダー橋とのこと)深谷市文化財になっている。ブリッジパークの名前の由来でしょう。
近くにある、楡山神社にも寄り道。狛犬が、犬っぽくて可愛い。裏口から入ったらしく、神社前にはずっと広場が続き、神楽殿や大ニレなどがあり、規模が大きい。
説明板によると、平安時代に編ざんされた「延喜式神名帳」に記載されている古い神社で、楡山の由来は、昔からこの地方で楡の木が繁茂したことによる。境内の正面にある神木は樹齢600年で、天然記念物として県の指定。節分際では、赤鬼、青鬼の人形を人々が奪い合うという珍しい風習があるとのこと。鬼の人形が守り神になるのだろうか。
久々の信号を東に進み、熊野神社へ。透明の壁が格好いい。
熊野大神社を崇拝し、社領を寄進したため、年貢を免除した土地もあるそうで。また、東方という地名もこの社から生まれたとのこと。
その先の信号をさらに東へ進むと、裏道のような狭い道の住宅街に入る。途中のたばこ屋さんには、「でんわ でんぽう」と書かれた看板も残っており、懐かしい。
道が曲がっており、方向がわからなくなる。
適当なところで北上したが失敗で、方向修正のため、田んぼのあぜ道を進むはめに。水がいっぱいで、ぬかるみがあるが、これぞ夏という感じで気持ちいい。なんとか最後の目的地、別府沼公園に到着。
水生植物、花菖蒲園などあるが、水がなく、雑草ばかりが広がっている。道路を渡った先の、イベント広場や日本庭園方面は、公園らしかったが、あまり整備されていないという印象。
あとは、駅に向かってひたすら南下。11時40分に籠原駅に到着したが、とにかく、暑くてばてばて。電車に乗って、帰る途中に大雨になったので、助かった…のかな。
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