7時5分、折原駅 うーん、何もない駅だ。
線路沿いの狭い道をずっと歩く。ときどき折原歴史かるたが書かれた場所があり、退屈しない。「い 今もなを 三年坂の いい伝え」
途中で線路沿いの道はなくなり、離れてしまうが、方向修正し鉢型城公園内の諏訪神社へ。武州日尾城主が鉢形城の家老として、出仕したとき、信州にある諏訪神社を守護氏神として祀ったのがはじまり。「ケヤキの大木は400年にわたる歴史の重みを静かに語りかけているようでもあります」と情緒的なことも書いてある。
奥から城跡に入っていく。山の中ではなく、平地なので歩きやすい。遠くまで見渡せるので窪みがずっと先まで続き、掘りの跡がよくわかる。綺麗な建物や、遊歩道・説明板とよく整備された場所。祭りの会場もあり(何をするのだろうか)トライフォースのマークがたくさんある。奥には、大砲つき。鉢形城は、文明8年(1476年)に長尾景春が築いたと言われている自然の要害を巧みに利用した城であって、高い山城と並んでよく城に利用されているとのこと。「虎口」「二の曲輪の調査」「庭園と石積土塁」などの説明もある。
木の橋を渡り、階段を降りると城の裏側へ。荒川がはるか下に見える高いところで、ラピュタの1シーンを思いだす。狭い山道を歩くと、のぼり坂になり、稲荷神社前に出て冒険はおしまい。ニの曲輪(にのくるわ)から元の道路に戻ると灯篭が並ぶ道になる。
左側にまた、鉢形城跡の案内があったので行ってみる。同じ鉢形城跡の説明でも「天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家・上杉景勝・本多忠勝・真田安房守らに四方から攻撃され、落城した」と、説明が違ってる。書いてあることが違うのは凝っているが、結局は同じで、城を道路が横断しているのだろうか?
広い道路に合流し、正喜橋を渡る。大きな川で、多摩川の上流のように断崖絶壁の深い川はすごい迫力。
橋の東側に雀宮公園があるはずだが…塀で囲まれ、入られない。ずっと進むと、公園のある小さな公園についたので、ここで妥協し休憩。ここでも、ゆりかご型のブランコを発見。
その後は、ふるさと歩道と書かれた通りをゆっくり歩く。右側は延々と大きな川が続くので、いい景色。途中、玉淀水天宮があったのでお参り。読めない石版があるが、横に「玉淀の四季」と説明があった。「昭和6年にこの地が「玉淀」と命名されたあと、神社の設置を検討。川に面したところに、石の宮があり、この地方の漁師いちが、水難除けに神様として、信仰していたので、水神の神体を基として、水天宮を祀りました」とのこと。
その後、東武の線路に沿って坂を上ると、玉淀駅へ。素朴だけれど歴史のありそうなところで、いい駅だと思う。
140号線は車でいっぱいなので、旧道っぽいところに逃げる。しばらく歩くと、岩崎公園へ。ゲートボール用の広場っぽい公園。端には稲荷神社があり、特有の赤い旗でいっぱい。また、~先生像が建っており、慕われていたのだと思うが、「先生」はなくても良いのでは?
結局140号線に合流するしかなく、一直線に歩く。岩崎地蔵(岩崎延命地蔵尊)、富士大神など、ところどころに見どころがあり、歴史のありそうな街道。また、庚申塔の出現頻度が高いところ。
140号線と交差するところは、歩道がなく陸橋のみなので、仕方なく上り下り。
コンビニ(セブンイレブン)横から北に進み、煙のような砂が振ってくる工場横を通ると、諏訪神社に到着。
大きな額が2箇所にあるが、字が消えており、読めないのが残念。ぐるっとまわったが、諏訪神社の祭り屋の説明だけ。「明治の初めに建造された、三台の屋台が保存されている。祭りのときには、およそ一キロにわたる、小前田宿の両側に露店がぎっしり並んだそうだが、今では交通量の増加により、行われていない」
桜が満開で、このままぼーっと日向ぼっこをしていたくなる、のどかな場所。少し早いけれど、近くの、小前田駅でおしまい(8時45分)。
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