8時35分、大雄山駅 伊豆箱根鉄道大雄山線は初めて乗ったが、ロングシートでなく車窓を眺めながら移動できるので、楽しかった。
駅前の金太郎像を見てから、まずは74号線へ。登山客はほとんどバスターミナルに向かってしまい、静かな中を歩く。「関本宿を語る会」が足柄道・戸長(村長)・問屋・旅籠 醤油釀造など手書きの案内板を各所に整備しており、読みながら歩くのが楽しい。
坂道を上ると、さらに上に中学校と平行して、範茂史跡公園が見える。手前の歩行者用入口と書かれてた道を進むが、かなり急な坂で、けっこうつらい。ずっと上って、公園のベンチで一休み。広場と、21グリーンマスタープランの花のまちづくりと書かれた花壇があるが、メインは藤原墓で承久の乱に藤原範茂卿はとらえられ、京都から鎌倉に送られる途中、足柄峠の清川(貝沢川)で着物に石を入れ、入水し最期をいげた。という説明ともに、辞世の句が書かれている。
「思いきや苔の下水せきとめて月ならぬ身のやどるべきとは」
帰りも歩行者道を下りたが、高校手前の道は公園に繋がっていたようで、素直に自動車道を歩けばよかったよ。78号線から200メートルくらいしか離れていないが、すっかり山の上で静かな別世界。
農道工事中だったので、78号線に復帰できず、アサヒビール工場に行くしかないかな。と覚悟をきめて歩くが、舗装が途中がなくなりびっくり。完全に方向がわからなくなり、いきなり迷走。
とにかく山から下りようと、下り坂を優先して進む。名のないお寺(たぶん薬師堂)と堅罕地神と書かれた神社があったが、地図に載っていないので位置がわからない。それでも、坂道を下りると、ようやく広い通り(78号線)に出て、現在位置を把握する。ずいぶん、引き返してしまったみたい。
バスの通りをずっと歩いて、福泉公園で一休み。高台にある小さな公園だが、カメ・ウサギ・パンダのオブジェに囲まれた公園で、可愛い。立派な完成記念碑があるので、なにか由来があるのだろうか。
「T字路注意」の案内だらけの弘福里道通りを進み、 足柄神社を目指す。途中、白地蔵尊と書かれた地蔵があるが、粉をぬりつけているというか、団子のようで、顔がわからないので不気味。化粧地蔵ともいわれ、安産と授乳の霊験があると伝えられているそうで、この先は、化粧坂と呼ばれていたそうだ。
交番前から、また山道に入る。今度は急な坂でてごわい。ずっと上ると、黒い神社に到着。ここが柄峠東側一帯の総鎮守 足柄神社で、となりに足利神社石祠群と書かれたやぐらが並んでいる。昔は地蔵がいたのだろうが、やぐらだけで中はからっぽなのは寂しい。神様の名前一覧はあるが、「どの神様がどの祠か、今になってはわかりません。」 はっきり書かれている。
少し坂を下ると、観音堂に到着。ここは本地仏聖観世音菩薩像を祀った堂で、昔は、刈野岩村地区の念仏講中が念仏を催し、若者講中が灯籠をつけるなどして賑わったとのこと。お堂には、まりのようなこけしが二体置かれている。だれが置いたのだろうか、住みついているように見え、勝手に動かすとバチが当たりそう。
神社先も坂道が続いていたので、上っていく。街を見渡せるところもあったが、すぐに林の風景になり、途中石捨て場のような石だらけの横を通る。地図を信じて進むしかないが、本当に道が続いているのか不安になるところ。静かな山道を進むと、いきなり、立派な道路に出る。助かった…。ここが足柄隧道だが、ずっと歩いているのに、車は一台も通らない。阿修羅像のような石碑から、つづら折りの道を下る。遠くに東名のアーチ橋が見えるが、巨大すぎて、山が小さく見える。
ようやく下の世界に復帰。ひさびさに信号を見たよ。あとは、山北駅に向かってバスの通りを進むだけ。
途中、地図に神社マークがあったので寄り道する。階段の隙間からタンポポや草が思いっきり伸びているので、左右によけながら上る。階段が急で、ふりかえると落ちそうになるので、一気に上る。頂上についたらもう、へとへと。
神社は立派だが、名前はなし(インターネットで調べると柵倉神社らしい)。帰りは、神社横の坂道をくだる。こんな道があったなら、案内がほしかったよ。
その後はとりたてて、なにもなく、川村土功之碑を過ぎると山北駅前通りという、懐かしい商店街になり、11時20分山北駅でゴール。
次の電車は53分だったので、駅前の鉄道公園でぼーっとする。
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