10時35分、秋川駅
駅前には、大きな電飾クリスマスツリーが用意されており、都会の駅みたい。銀行でお金をおろしたあと、東急の裏を通って、あきる野市役所横の大塚古墳へ。
公園が古墳…ではなく、奥が小山になっており石碑前まで階段を上る。小川牧と呼ばれ武蔵国の有数の官牧であった場所で、王塚古墳とも呼ばれ台地に築造された古墳として重要。ほぼ円形だが、築造当時は方墳ではなかったかと思われるとのこと。
下にはベンチが整備されていたので一休みする。あたり一面、落ち葉だらけ。
市役所前の狭い坂をずっと下りて睦橋通りへ。見覚えのある道を進み、続いての目的地、西秋留石器時代住居跡へ。
東京都教育庁が用意してくれた古墳の絵はがきで、場所を把握。柵の中にあるのが、住居跡で中には入られない。前は真っ暗でなにもわからなかったが、ちゃんと説明板もあったのか。とにかく、ようやくこれで懸案事項が一つ解決。消えかけの看板によると、このあたりは秋川丘陵ハイキングコースになっているようだ。
以下解説。
昭和七年調査で、縄文時代後期の敷石住居跡五軒や石棺墓二基、石組の炉一基が発見された。このような狭い範囲にまとまったものはほとんどなく、昭和八年に国の史跡に指定。土器や石皿、石棒、石鐘などの石器も多数出土され、敷石住居は平地住居であるとする説の有力な根拠となる場所で、学史的にも非常に貴重な遺跡である縄文時代中期の敷石住居跡も5軒発見。敷石周辺に石が立てられているのは、外部周辺との区切りとしていると推察されている。
そのまま秋川まで下って5分ほど歩くと、秋川神明社に到着。
神社前にあきる野市指定文化財(天然記念物)になっているスギがあり、絵になる風景なのだが、その奥に巨大な高架の圏央道のインターチェンジができたので、高架が落ちて来そうな圧迫感がある。交通量も多いし。
細い道を通って、IC下を脱出。しばらくは川沿いののどかな道だったが、ぼうない坂になると、けっこうきつい。小学校横から狭い通りに入り出雲神社へ。
神社には大きな木がつきものなのか、ここは「そめいよしの」という木(あきる野市保存樹木)がある。グラウンドのような広場と、ステージのような神楽殿があり、けっこう広い。
せっかく上った坂を下ると、5分ほどで大宮神社へ。再び、秋川沿いの道を進む。五日市街道沿いの整備された場所とはまったく違う、昔ながらの古い家が並び、懐かしくなる風景。川の先にあるサマーランドの観覧車が邪魔に思える。
のどかな牧場を通過すると、引田八雲神社へ。屋根の大きい素朴な小屋。境内のまわりにはブランコと鉄棒があるが、使う方はいるのだろうか。
続いて馬乗坂を上り、続いて目指すは熊野神社。鳥居は見えるのに、住宅がじゃまで進めない。素直に出雲熊野通りを進めばよかったみたい。なんの説明もないが、けっこう新しめのところかな。
最後に坂を5分ほど上って、天満宮へ(大きな看板つき)。ようやく五日市街道に戻ってきた。川に向かってひたすら下り坂になる町のようで、線路まではまだ坂道を上る必要がある。道路は一直線でわかりやすいが、住宅街のない一面畑景色。そばや小麦も栽培している。
電車が行ってしまったので(単線だし)、ゆっくり歩いて、12時35分武蔵増戸駅でゴール。増戸の北側にある、日の出町も気になるが、それは次の機会にしよう。今回は8tagarasu(坂道散歩人)さんの「あきる野市の坂-5」の道のりにかなり影響されいます。
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